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沿革
| 1948 | バーナード・ブッス宣教師、軽井沢の自宅を開放して最初のキャンプを開く。 |
| 1951 | 同師、自宅で行われていたキャンプの成功をふまえ、軽井沢の日本語学校で若い宣教師たち(現在すでに引退・帰国された宣教師多数)に日本でのキャンプの働きについてチャレンジを与える。ショーン、チェンバレン両師が出席していた。 |
| 1951 | ジョン・ショーン宣教師(現在引退し、米国においてキャンプの働きに携わる)神学校の学生と共にトラクト配付を松原湖近辺に実施。数日後、休暇で同地へ行き、現在の松原湖バイブルキャンプがある土地を発見。同年秋、3千坪の土地購入の為の交渉を開始。 とりあえず1年間の契約(年3千6百円)で借用。 松原湖バイブルキャンプがここに始まる。 |
| 1952 | 初のプログラムキャンプ(大学生、高校生、中学生)を開催。 約200名の若者が参加。宿泊は全てテント、食事も集会も大きな天幕を張って行われた。 |
| 1953 | 引続き、2年間の使用契約を締結。台所、チャペル、食堂用の各テントを増設し、少しずつ設備を拡張。しかしキャンプ活動が夏期に限られてしまう事を考え、天候、季節にかかわらず常時使用出来る本建築の施設に拡張する必要性に迫られる。 |
| 1958 | 3千坪にわたる土地購入の契約成立。総額は約90万円。 |
| 1959 | 8月15日、伊勢湾台風がキャンプ場を襲う。テントは裂け、吹き飛び、甚大な被害を被る。さらに耐久性のある施設の必要性が高まる。 |
| 1960 | 秋、5棟の米軍払い下げのカマボコ型兵舎を使用開始。同時に電気設備が設けられる。 |
| 1961 | 同年夏、500人のキャンパーが訪れる。 |
| 1964 | ショーン宣教師の呼びかけにて、第一回日本クリスチャンキャンプセミナーを軽井沢星野温泉に於いて開催。 |
| 1964 | 夏季キャンプでキャンパーが1000名を超える。 |
| 1965 | 松原湖、奥多摩、KGK、Hi−B.A.の各キャンプ場が主催で「日本バイブルキャンプ協議会(JBCA)を発足。 |
| 1965 | 2月、初の冬期キャンプが開催される。 |
| 1968 | 秋、本部棟の増築に伴い、風呂場、医務室、スタッフルーム、事務所、集会室が施設として加えられる。 |
| 1968 | 新用地(現アウトキャンプ場)取得計画開始。 |
| 1971 | チャペル建設工事開始 |
| 1972 | 4月23日、20周年記念ラリーを開催(世田谷中央教会にて)。 |
| 1972 | 一人の高校生がキャンプ場において救われる。彼が作曲した「イエス様が一番」がキャンプにおいて紹介され、現在も多くの教会で賛美されている。 |
| 1974 | 「日本バイブルキャンプ協議会」が「日本クリスチャンキャンプ協議会(JCCA)」と改名。 |
| 1974 | 松原湖バイブルキャンプを支える会(現後援会)の発足。 |
| 1976 | 8月15日、25周年記念大会が持たれ、260名収容可能なチャペルの献堂式が行われた。同年、岡村又男師が日本人初のキャンプディレクターとなる。 同年、キャンプ運営の責任が日本同盟基督教団に委譲される。 |
| 1977 | 第一回アウトキャンプ開催 |
| 1984 | 第一回松原湖聖会開催 |
| 1985 | カマボコ型の食堂に代わり、200名利用可能な本建築の食堂を建設。 |
| 1985 | 第一回アジア太平洋クリスチャンキャンプセミナーが台北で開催され、これに参加。 |
| 1988 | カマボコ型キャビンに代わり、2階建ての水洗トイレ付きキャビンを建築。収容人数が約200名となる。 同年、長年キャンプに仕えてこられたショーン宣教師帰国。 |
| 1990 | ショーン宣教師に続き、同じく長年キャンプを支えて下さったチェンバレン宣教師も帰国。 |
| 1991 | 引退、帰国されたショーン師を迎え、創立40周年記念聖会を持つ。 |
| 1994 | ショーン師を招き、第17回JCCAセミナー「発足20周年記念大会」を松原湖バイブルキャンプ場にて開催。同年秋、国際クリスチャンキャンプ協議会(CCI)の国際会議に参加。 |
| 1994 | 韓国のバイブルキャンプ場と姉妹関係を結ぶ。 |
| 2001 | 米国よりショーン師、チェンバレン師を迎えて50周年記念聖会を開催。 記念誌「主の山」、テーマソングCDを発行 |
| 2002 | インドネシアICCキャンプとの交流を開始。 |
| 2003 | 40名収容の新キャビン建設工事開始。 |